夜猫の記録

ゲームを出来ない人間がゲームをやろうと頑張る記録

ゲームができない

私はゲームができない。

下手くそとかそういう意味ではない。精神的問題でゲーム自体に手が出せなかった。

特にRPGが無理である。

時間をかけて積み重ねていく物が本当に無理なのだ。(シミュレーション系も難しい)

その場その場で終わる落ちゲーやパズルゲームはまだできる。

学生時代ワンコイン50円のエメラルディアというアーケードの落ちゲーにハマって学校帰りにゲーセンでワンコインで30分〜1時間位遊んで帰るという事はしていた。

基本的にゲームは嫌いではないのだ。

 

さて、何故RPGができないか。

きっかけは些細な事、しかもあるあるでもある、ドラクエⅢの冒険の書が消えたという事だった。

やっとレベル20まで上がり、次やる時に賢者に転職しようと思ってた矢先だった。

そんなものまた最初からやり直せば良い事じゃないか。そう思うだろう。私だってそう思う。

でも、できなかった。

 

それ以来RPGはぱたりとやらなくなってしまった。

 

どうしてゲームに手が伸びなくなってしまったのか自分でもよく分からなかった。

兄がゲーマーだったのもあり兄がプレイしているのを後ろで見てる。それで楽しくはあった。けど、決して自分でやろうという気にはなれなかった。

 

自分は所謂オタクなのでゲーマーの友達も多い。

友人達が色んなゲームをやっているのを見ていて、楽しそうだなとは思いつつ、やっぱり一緒に遊ぶ事はしなかった。

それでもRPG以外のゲームはなんとなくはやっていた。しかしある日突然全てがどうでもよくなってしまってパタリとやめてしまう。

飽きっぽい方ではないし好きなものはとことん永く好きでいる性質なので自分でも不思議な現象だった。そしてそれはゲームに対してのみ起こるのだ。

他の娯楽では起きない事がゲームにだけ起きる。その理由が全く分からなかったのだけど、たびたびそういう事が起こるのでだんだんとゲーム自体から遠のいてしまっていた。

 

ゲームをやらなくても生きて行ける。

 

自分の中でいつしかそういう答えを出していた。

 

そんな私がどうしてもやりたいと思うゲームに出会ってしまった。

FF14である。よりによってRPGである。

最初は諦めていた。けど、日に日に“やってみたい”という気持ちは膨れ上がるばかりで。

そういう事をぽつりと呟いたらゲーマーの友達が話を聞いてくれた。

そこで初めて、自分がどうしてゲームが出来ないかをきちんと考えた気がする。

 

私の家は転勤族だった。小学校を4回変わった。

「小学生のうちに転校繰り返すと性格歪むよ」

なんて自虐に満ちたネタとしてよく笑い話にしているのだけど、正直笑い事ではないくらいにストレスになると思う。

でも小学生のうちの親の都合なんて子供にはどうしようもない事で。受け入れるしか術がない。

転校を聞かされるたびに幼心に「ああ、またか。またイチからやり直さなきゃいけないんだ」

そう思っていた。

人見知りなので転校する先々でいじめられもした。(そこまで悪質なものはなかったので慣れるうちに自然とおさまる程度のものだったけど)

 

そういう時期に消えた冒険の書

今でもそうなのだが、音楽や漫画やアニメやゲームと言った娯楽は私にとっては現実逃避の場所なのだ。

しんどい現実から逃げて没頭できる救いの場所。

そこでセーブデータが消える。また最初からやり直さなければならなくなったというのは、当時の自分の現実とリンクしてしまって物凄く辛い経験となってしまったのではないか。今となってはそう思うのだ。

ある日突然どうでもよくなるという現象も、恐らくなのだが外部からの要因でダメになる前に自分で終わらせてしまえという自己防衛なのではないか…と思う。その辺りはまだよく分からないが。

 

やりたいゲームができた事で初めてゲームができない理由と向き合った。

ぼんやりとゲームを避けて来た人生であったがようやく理由が分かった気がする。

理由は分かった。

ならばそれを塗り替える楽しい経験をゲームで出来るならば、そのトラウマは克服できるのではないか。友人と話すうちにそう思えた。