夜猫の記録

ゲームを出来ない人間がゲームをやろうと頑張る記録

ゲーム体験の共有

ずっと疑問に思っていた事がある。

祖堅さんがよく口にする「ゲーム体験の共有」

ゲームだけが特別みたいに言うのが私はちっとも理解できなかった。

 

「音楽は聴いてる人それぞれに曲に対する違った思い出があるけどゲームにはみんなに共通した思い出がある」

 

音楽だって「あの日あのフェスで朝日を見ながら聴いたあの曲」

みたいな共通の体験はあるんじゃないの?

って。

 

先日インパルス板倉くんの対リットアティンさんのゲーム動画を見てその意味がやっと理解できた。

 

音楽の場合は例えばシチュエーションの共有は出来たとしても音楽に向かう気持ちや目的は人によって違うと思うのだ。

「あの日あのフェスで朝日を見ながら」聴いた曲でも、それに向き合う目的や感情が違うなら完全なる体験の共有にはならないのかもしれない。近しい友人などであればまた別の話になるのかもしれないけど、フェスに集まる何千、何万の人達が全員全く同じ目的をもっている事は決してないだろう。

 

ゲームはどうだろう。

「リットアティンさんを倒す」という目的はどのプレイヤーも同じなのだ。

倒す過程や方法は違ったとしても目的や倒した時の喜びは共通しているのではないだろうか。

そしてそれは14をプレイするプレイヤー全てに共通する物なのだ。

板倉くんの動画を見ていてつい先日自分も同じ体験をしたその時の事をすごく思い出したし、故に我が事のように板倉くんの戦いを見守ってしまった。

 

あ、これが祖堅さんの言っていたゲーム体験の共有なのか。

 

目から鱗というか、ヘレン・ケラーのウォーター!位の衝撃というか新しい価値観を“理解”した瞬間だったと思う。

今まで全く理解できなかった事がストンと腑に落ちた。

 

そしてそれを音楽で呼び起こす事を行っているのがPRIMALSやオケコン、という事もよく分かった。

なるほど、なるほどな。

 

これってやっぱり14をプレイしなければ一生理解できない事だったと思う。

この歳になってもまだこういう新しい体験や価値観に出会う事が出来たのは幸せな事だな、と心底思う。

それを板倉くんに気付かされるとは思ってなかったけどw